今昔美術対談 Art Interview Vol.014 萠え出る美を慈しむ

萠え出る美を慈しむつねに日本女性の「美」について問いかけ、時代の最先端を走り続ける資生堂。現在、同社の名誉会長を務める福原義春氏は、経営者であるとともに、東京都写真美術館館長や、版画家・駒井哲郎のコレクター、洋蘭栽培の愛好家など多彩な顔をもつ。一見、対極に位置する「経済」と「芸術」。それらを結びつけるものとはなんだろうか。

福原
私は慶應幼稚舎を出ているのですが、その11年先輩に駒井哲郎というひとがいたのです。駒井さんは慶應義塾普通部を卒業した後、東京美術学校(現・東京藝術大学美術学部)に進み、版画家になります。
加島
いわゆるエリートの道から、芸術の道へと進路を変えられた方なんですね。福原さんはいつから駒井氏の作品のコレクションを?
福原
慶應幼稚舎で私の担任をしてくださった吉田小五郎先生は史学者で、駒井さんの恩師でもあったのですが、社会のエリートを目指すだけでなく駒井さんのような生き方もあるんだよ、と私たちに教えてくれたのです。その話に心が留まり、いずれは駒井さんの作品を手許に置いてみたいと思うようになりました。実際に買ってみたら、なんとなく駒井さんの作品と波長が合いました。ですから最初は好きで買ったというわけではなく、思い入れから買ったのです。それから徐々に作品を集めていって、500点を超えるコレクションになっています。
加島
最近は美術館に足を運ばれる方というのは大層増えておりますが、なかなか美術品を「買う」という発想にはならないように思います。見ることと、買われることはだいぶ違いますか?
福原
そうですね。美術品を買うと、自分と作家との関係性が変わってきます。作品を持って、そして眺めていると、その作家との距離がずっと近くなります。作家についてもっと知りたいと思うようになりますし、そうすると、ほかにはどんな作品を描いているのだろうと思うようにもなり……、そういう一歩踏み込んだ見方になってきます。
加島
なるほど。駒井哲郎氏に関しては、日本で一番のコレクターと言えると思いますが、作品はいまどちらに?
福原
全て世田谷美術館に寄贈しています。2000年から世田谷美術館に寄託していましたが、美術館に預けることによって、より多くの人の目に触れることになりますし、そのぶん駒井さんを知ってもらうことにもなります。2011年から12年にかけて、それらの作品を用いて、駒井さんの生誕90周年を記念する巡回展が全国6つの美術館で開催されましたが、それを機に、最終会場にもなった世田谷美術館に寄託していた作品の全てを寄贈しました。駒井さんは世田谷区にお住まいだったことも理由のひとつです。
加島
美術館といえば福原さんは東京都写真美術館の館長もされていて、ご自身でもお写真をお撮りになるとうかがいましたが、写真ではどういった作家がお好きなんですか?
福原
特に何派がいいとかそういうのはなくて、ただ、いい作品はいい、と。好きな作品は好きだと思うのです。だから名前を上げていくと数限りない。(笑)
加島
なるほど(笑)。ぼくは木村伊兵衛の「秋田おばこ」シリーズの作品はいつも見るたびに感動してしまいます。いまの写真というものはもっと抽象的な世界に入っているんでしょうね。
福原
写真が抽象に傾いた時代ももう過ぎてしまいました。マン・レイなどが活躍した時代は100年近く昔のことになってしまいました。これから先はどのようになっていくのでしょう。しかしながら、今のアート作品には、私は必ずしも賛成はできないものがありますね。時々現代美術館にも行きますが、コンテンポラリー作家の中には、作品を見るたびに、これはひとりよがりなのでは? と思うものがある。自己実現、自己満足であって、大勢の人に見せるものではないのでは? と思わされることも多いのです。写真は今、大きな時代の変化を過ぎました。つまりフィルムからデジタルに変わってしまいました。なにが変わったかというと、フィルムを使った銀塩写真が作れなくなってしまったのです。昔はネガがあれば何枚も焼き増しできましたが、焼き増しするための印画紙の種類がほとんどなくなってしまいました。ですから写真の価値はすごく上がっているのです。オークションでも何億という値段のつく作品が出てきました。希少なものは値段が高くなるという理屈がありますから。
加島
希少性で、ですね。
福原
そう。昔の写真でいうと資生堂の初代社長で写真家でもあった福原信三のオリジナルプリントなんて殆ど残ってないんですよね。オリジナルフィルムを後年に焼き増ししたものをニュープリントというのですが、今はそのニュープリントもなかなか焼けないのです。そういう時代になってしまったので、これから先、20〜30年以上前の写真の値段はだいぶ上がってくるのではないかと思います。
加島
写真のあり方というのもこれから変わってきますよね。機械文明というのはなんでも新しいものが基盤ですから、古いものを守りながらっていうのは難しいことですね。
福原
ハードを扱う人たちは、やはり商売が先に立ちますのでどんどん新しい技術に切り替えて世に出したいのです。たとえば、昔は音楽を聴くのはSPレコードで、 その後LPレコードになり、CDになって、いまはMP3やWMAなどのデータになってしまいました。再生するフォーマットやハードも次々と変わってきまし た。
加島
確かに。レコードを聴こうと思っても、レコードプレーヤーがなくなってきていますから、なかなか聴くに聴けない。難しいですね。むかし、誰に聞いたのか忘れましたが「機械文明は文化を駆逐する」なんて言葉がありました。
福原
まさにそのとおりです。つまり機械文明は人間のハンドワークを駆逐してしまったのです。で、人間の方も「いちいち細かいところまでやらなくていい」と思ってしまう。そうやって機械に頼ってしまうと、今度は機械に支配されてしまう。
加島
そういえば福原さんはさまざまなインタビューや講演などで、日本の美意識というものに変化が現れて、文化自体が衰えてきているのではないかということをおっしゃっていますが?
福原
日本ばかりでなく、フランスだってどこだってそうですよね。自分たちが持っていたものの真価は何だったかということを忘れて、目先の新しいものにばかり飛 びつくようになってしまいました。ですから私は、世界中でもう一度文化の方向性を考え直さないといけないと思う事があります。
加島
そのように福原さんがお思いになっているのは、危機感のようなものがあるからですか?
福原
私たちは、自分たちの趣味や文化的理想が衰えてきてしまっているという事実を知っていないといけない、と思ったのです。今のままでいいんだ、と思ってしまうといけない。それであちこちで苦言を呈しているのです。
加島
ぼくなんかは古美術商という職業柄、「新しいもの」と「古いもの」というふうに、ついつい分けてみてしまいがちで、古いもののほうがいいように思ってしまいがちなんですが……。
福原
古いもののなかには本当にいいものがありますからね。古いものが残っているということは、それが本当にいいから、今日まで何百年も、あるいは一千年、二千年も残るのです。しかし、そこにいたる過程で、価値のないものは捨ててしまったり燃やしてしまったりしたに違いありません。ですから、今日まで残っているものは、やはり長い歴史をくぐり抜けてみんながいいと思うものが残っているのではないのでしょうか。
加島
けれど、こうやってお話をうかがっていると、これからは新しいものにも目を向けていかなければと思います。
福原
現代のものの中にも良いものがないというわけではありません。ただ、創造される数に比べると、完成度の高いものが少ないような気がします。なぜかというと、創造力の前に、人間の力そのものが衰えている、ということではないでしょうか。先程も言ったように、人間の感性・直感・嗜好やハンドワークを軽視して機械に頼ってしまっているのです。たとえば、聴診器に頼るお医者さんは少ないでしょう。みなさんデータを見ているだけでね。だけど最終的にはそれだけでは人間という存在に何が起こっているかはわからないのです。
加島
なるほど。資生堂は現代の作家さんたちをメセナ活動のなかで支援していらっしゃいますが、この活動について少しご説明をいただけますか?
福原
ヨーロッパでは王侯貴族が文化を支えた歴史があって、その後、各国で革命が起きて共和政治になると今度はその役割を政府が担うようになってくる。日本の場合は、そういった「公が文化を管理した」ということはないのです。それこそ400~500年前、徳川幕府の時代は、諸藩がそれぞれの地域で文化を育てました。しかし、それはあくまでも例外で、基本的には日本文化は民の力が支えてきたのだと思っています。
加島
私は、皇室が日本の文化を支えてきたという一面は非常に大切だと思います。
福原
古い時代には天皇が文化の発信者であり庇護者でもありました。近世に入ると諸大名ですね。加賀の前田家などは芸術・芸能に力を入れましたし、出雲でもお茶が重用され、良い和菓子が登場しました。これは藩主であった松平不昧公の産物です。また、徳川時代の参勤交代も、地方の文化を江戸から全国に広める役割がありました。その上、豪商たちが文化にお金を投資したり、美術品を集めたりしています。明治時代になると新政府ができて、その文化の爛熟期には帝室博物館も誕生します。これも、住友とか三井とかの財閥がその基礎を支えたのです。企業メセナ活動というのは、かつて財閥など富が集中していた組織が率先して行っていた文化支援を、現代では企業が肩代わりしていこう、というノーブレス・オブリージュの精神でやりはじめたんですね。しかし、大切な事は企業の資金を運用することではなく、企業の文化に対する純粋な思想を社会的に共有しようというものなのです。これが単なる寄付協賛と企業メセナの違いです。
加島
なるほど。財閥の文化支援といえば、住友家の中国美術の素晴らしいコレクションがあります。もういまは中国にないものばかりですね。そうして考えると、日本人は世界的に見て、「美」といったものに対して優れた感覚を持っているといえるのでしょうか?
福原
そうですね。とくにフランス人と日本人ですね。フランスは「文化の評価者」と呼ばれます。だからフランス人が「これがいい」と言うと世界中がそれを真似するようなことがあります。
加島
日本人の美に対する感覚が低くなってしまっているということを福原さんはおっしゃっていましたが、少しは希望をもってもいいのでしょうか。
福原
まだ底流としては残っていると思います。ただ、大正時代や昭和の初め頃に書かれたものを読み返してみると、みんな非常に高度なレベルですよね。あれに比べると、私たちははるかにレベルが下回ってしまいました。美術品にしても、真贋や嗜好でなく値段だけで買われるような方もいらっしゃいます。
加島
この世界がグローバル化で小さくなってきたとはいえ、各国の文化は多種多様です。日本の文化を世界に発信されることも企業メセナの活動には含まれるのでしょうか?
福原
それはあまり考えられていないですね。世界に対して、いろんな形で(文化を)発信しなければならないと考えているのですが、必ずしも日本政府や企業が発信していくばかりではありません。企業や政府が文化を後押しすることも大切ですが、最終的に文化というのは、個人に属するものだと思います。
加島
個々の人々が個々の力で世界に発信していくというのが大事なんですね。資生堂といえば、商品のパッケージデザインや広告でも話題になることが多いですよね。今お話にあったように、「個人の文化的な力」といいますか、レベルの高いクリエイターたちによって資生堂の洗練されたイメージが支えられているように感じます。昔でいえば画家の小村雪岱も一時期、資生堂にいたと思いますが。
福原
そうですね、短い期間でしたが雪岱もおりました。当時の「意匠部」というところで、ロゴやパッケージデザインに携わっていたという記録が残されています。山名文夫さんも大きな存在でした。資生堂は、現代では非常に珍しいのですが、社内にデザイン部門を設けていて、社内スタッフでデザインの多くを制作しています。かつてはこのようにクリエイティブ部門を社内に有するスタイルの企業も多くありましたが、今、ほとんどの企業は、デザインや広告は外注しています。その点、資生堂はかなり珍しい企業であると思います。資生堂を辞めたあと、独立して仕事をしていく人も多いです。本当にすばらしいクリエイターに支えられていますよ。

※上記は美術品販売カタログ美祭14(2013年10月)に掲載された対談です。

profile

株式会社 加島美術 加島盛夫

  • 株式会社 加島美術
  • 加島盛夫
  • 昭和63年美術品商株式会社加島美術を設立創業。加島美術古書部を併設し、通信販売事業として自社販売目録「をちほ」を発刊。「近代文士の筆跡展」・「幕末の三舟展」などデパート展示会なども多数企画。

福原義春

  • 福原義春
  • 昭和6年東京生まれ。昭和28年慶応義塾大学経済学部卒業と同時に株式会社資生堂入社。87年代表取締役社長、平成9年年代表取締役会長を歴任。平成13年、名誉会長に就任。東京都写真美術館長、企業メセナ協議会会長、東京芸術文化評議会会長、文字・活字文化推進機構会長、経済人同人誌「ほほづゑ」代表世話人、ほか公職多数。

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