今昔美術対談 Art Interview Vol.007.008 日本美術を応援する PART1

墨と色彩 日本人が持つ美意識の対極。室町水墨から現代美術まで熱く語られる山下先生、お話しの面白さだけでなく何か声楽を聞いている様で耳に心地良く、あっと言う間に時が過ぎていました。

加島
本日はお忙しい中、ありがとうございます。早速ですが、昨日から長谷川等伯展が東博で始まりました。そこで松林図のことからお伺い致しますが、先生はご著書の中であの屏風はもっと横へ連続して展開して行くと思う、しかもあれ自体は下絵であろうと述べられてますが。
山下
そうです。昨日も改めて良く見て来て、その思いを強くしました。紙にちょっと荒い繊維が漉き込まれていてね、やはり下絵にまちがいないでしょう。それと絵の左端に松の葉が少し描いてあるのですが、そのことからもっと絵が広がっていたように思われます。とにかくあれはああいう風に屏風に仕立てた人のセンスがすごいですね。で、押してあるハコは等伯の印とは違うんです。あきらかに後印でそのことからも下絵と考えられます。でも作品自体は等伯筆であることに間違いのない素晴らしいものですがね。
今回の展覧会にはあれとほとんど同じ図柄の絵が出陳されています。
加島
えっ、そんなのがあるんですか。
山下
10数年前に出て来て『國華』にも紹介されているそっくりさんなんですが、よく見ると明らかに等伯筆でないことが判ります。長谷川派の誰かが直接コピーしたものでしょう。
加島
松林図には小さく山の様な線がありますが、あれは遠山でいいんですか。
山下
えゝ、遠山です。等伯の出身地である雪の能登風景ですね。それを説明的に描くのではなく、あれだけスパッと描くというのがすごいですね。それにしてもあれほど皆が絶賛する絵は他にないんじゃないですか。日本美術の余白、枯淡、幽玄というようなキーワードに、いかにもあてはまりやすい絵なんですね。
しかし、日本美術にはもう一方、装飾的で、エネルギーがほとばしるようなものもたくさん存在しますよね。
加島
等伯にも色をいっぱい使った作品がありますよね。
山下
勿論ありますし、他の作家にもいろいろあります。ここに伊藤若冲の展覧会図録がありますが、考えてみれば10年位前までは若冲なんて一般的にはあまり知られてなかったですからね。この図録の展覧会がジャスト西暦二〇〇〇年に若冲没後二〇〇年を記念して開催された事が象徴的で、ここから日本美術の多面的な見直しが進み出したとも言えます。
加島
この図録にも出ている有名な極彩色の鳥獣花木図屏風すごいですね。なんだかタイルで作ってある様で。
山下
あゝ、プライスさんのね。プライスさんはこの屏風を本当にお風呂にタイルで再現されてね、楽しんでおられます。私も入って来ました。
加島
えー、先生も入浴されたんですか。
山下
はい、入りました。まるで親子のように一緒に(笑)
そして屏風も何度も見せてもらってますが、これに関しては、議論があって若冲の作ではないと言う人もいます。しかし僕が思うにこの屏風自体が存在して有名になって、展覧会に出て、見た人が面白がって、感動している、その事実こそが大切で、極端に言えば筆者の特定とかは問題じゃないと思いますよ。絵とそれを観る人の関係がしっかりとあれば、作者が誰でも良い絵は良いとして鑑賞するその事が大切だと思います。
私が思うに、絵を観る時にまず落款と印章から見る人、あまり感心しませんねえ…。
加島
商売人にもいます。すぐハンコを較べて見る人、僕もあまり好きじゃないです。
山下
そうでしょ! 印しか見てない人、研究者にも多いんですよ(笑)
加島
ところで先生、この屏風はすごいなと何時も思うのですが、発想はどの辺りから来ているのですか。
山下
これはね、テーマ的に言うと象が真中にいてね、あきらかに仏教的な意味合いがある。若冲は天竺をイメージしてたんじゃないかな。まだ見ぬインドですよね。それとこの絵の枡目は八万六千個ほどあるのですが、その一つ一つを色で埋めていく、これは経文を桝目に入れていくのと同じ、若冲にとっての写経のようなものじゃなかったかと考えています。
深く仏教に帰依した人でしたから、この絵にはそういった仏教的意味合いがあるという話をプライスさんにしたら、最初はキョトンとしてました。そんなこと思ってもみなかったようで、"No" なんて言ってました(笑)
加島
あゝ、そうですか(笑)
水墨の石燈籠の屏風も有名なものですが、こちらは墨の濃淡で点を打ってますよね、これと比較してタイル目に色を入れていくこの象の絵の方はもっと大変で何年もかかったんでしょうね。
山下
かなり時間かかってると思いますよ。あの動植綵絵だって、10年位かかってるわけですからね。
若冲という人は、トントントントンと墨や色を重ねて打っていく、同じことをずっと繰り返すという行為自体に意味を見出していたのかも知れませんね。
いずれにしても、日本美術で人気№1になりましたね、若冲は。最近ではMIHOミュージアムに入った象と鯨の屏風も出てきましたしね。
加島
今日は私共からは、蘆雪の龍虎の双幅を見て頂きたいと思って、掛けて置いたのですが、如何なものでしょうか?
山下
これいいですね!初期の作品ですね、小振りですがキリッとしていて、蘆雪のいい所が出てるじゃないですか。
加島
ありがとうございます。先程も石垣(弊社女性社員、山下先生の教え子)と虎の顔が違うねと話していたのですが。
山下
いえ、このタイプの顔もありますよ。
加島
はい、あるんですね。図録を見てたら、出てました。
山下
この龍虎図双幅は基本的には応挙のスタイルを忠実に踏襲しているんですが、虎の縞模様の滲みの感覚なんかが応挙と違いますね。やっぱり応挙とは別の切れ味があるんですね。それにしても僕はいつも思うのですが、蘆雪が世に出られたのは、やっぱり応挙という立派な先生がいてこそなんでね。
加島
あ、それは応挙を越えられなかったと言うことですか。
山下
いや、越える越えないという話でなく、応挙の人間的な大きさが蘆雪を育てたということです。すなわち応挙の抱擁力あっての蘆雪であると思います。この前ね、紀州串本の無量寺へ行ってその蘆雪展の図録の表紙になっている虎もあらためて見て来ました。ほれぼれしますよ。
加島
蘆雪は紀州で亡くなるんですか。
山下
いえ大阪ですね。若くて45才位でね。
ちょっと話がとぶんですが、やはり40代で亡くなった幕末の狩野一信という人がいて、あまり一般的には知られていないんですけどね。
来年3月に江戸博で大きな展覧会をやる事になっていてその監修をします。増上寺にある五百羅漢図百幅が一堂に並びます。圧巻だと思いますよ。彼の遺作は少なくてね、と言うのもこの五百羅漢図の制作に命がけだったようですから。本当に100幅の内96幅描いたところで命が盡きるんですよ。後の4幅は奥さんと弟子が描いてます。この狩野一信展のことは何か機会がある毎に宣伝してるんですよ、狩野一信を世に出すためにも。是非観に行って下さい。
加島
はい、楽しみにしております。
狩野一信の「五百羅漢」展が開かれる事とか、先生が日本美術を取り上げて宣伝して下さる事によって、若年層にも興味を持つ人達が増えてきているのは私たちにとっても有難いことと思っています。ただ、家に床の間がなくなったせいか、展覧会を観には行くけど、作品を買うとなるとなかなかむつかしい。僕は、床の間だけでなくちょっとした工夫で他の場所にも掛軸飾って楽しめますよって説明するんですけどね。
山下
確かに今すぐは難しいかも知れませんね。ただ、若い人が日本美術のほんとうに良いものを買う時代が必ずくると僕は思いますよ。しかしそれはセンスの悪い額装をされたようなものじゃなくて、軸装の本当にいいもの。これからその価値に気づいていきますよ。
加島
あぁ、創作表具とかですか。
山下
創作表具…。僕は嫌いですね(笑)
そうじゃなくて、ちゃんと基本的なところを抑えた上で「これは!」って思えるような表具をしてほしいものですが。
加島
ところで先生は若い作家の作品にも目を向け、応援されていますが。
山下
はい。私は自分の仕事、この美術にかかわり続けていけてるというのは、一部ではあっても、美を産み出す若い人がいるおかげだと思っているのでね。そういった人が早く世に認められて活躍出来たらいいなと、献血するような気持ちで作品を買ったりします。ごく少数、何人かは「これは!」って人がいますよ、でもいわゆる日本画の世界からはなかなか出てこない、それが残念です。
日本画不振の大きな原因として筆記具の問題があるんですよ。やはり物ごころついた頃から筆を持ってないと駄目なんですね。じゃないと應挙みたいな線が引けないんですよ。18歳で美大に入って日本画を勉強するっていっても、筆を持つ基礎なんかまったくできてない。たとえば、大学に入ってから野球始めてプロになる人ってのはいないわけで、日本画にも同じ事が言えるんですよね。
加島
そうですか。やっぱり筆記用具として筆をつかわなくなったことが根本的な問題になるわけですね。
山下
そうです。だから僕は、今後可能性があるとしたら、書の世界から見所のある作家が出てくるんじゃないかと思いますね。筆に対するきちんとした基礎を培った人が絵の世界に入ってくるんじゃないかなと、半分期待を込めてそう思ったりもします。それとよく冗談で言うのは、ものすごく絵の才能がある人同士が結婚して、その子供に鉛筆を持たさないようにして、毛筆だけで絵を描かせる教育するんですよ(笑)。究極そこまでしなければって話でね。
僕の考えですけど、そういう筆の感覚を持った最後の画家っていうのは鏑木清方だったと思いますね。江戸時代の画家にもひけを取らないような線が引けた画家だったと思います。で、しかも清方の場合は子供の頃の記憶をもとに江戸情緒みたいなものを頭の引き出しから出してさらさら描けた人ですから。
加島
一旦、筆を持つ文化が途絶えてしまうと取り戻すのが大変ですよね。
山下
それが文化っていうものでしょう。ことあるごと僕は言うんですが、そういう技術の面では日本画は今、危機的状況ですよね。
僕は自分の子供に書道だけはやらせてます。小学生の頃から毎年夏休みは先生のところで般若心経を書いてましたね。
加島
へえー、それはすごいですねぇ。
山下
小学校1・2年生の頃に書いた般若心経なんかは、下手なんだけれどこれがなかなか面白いんですよ。
加島
衒いがないというか、邪心がないからいいんでしょうね。
なにか上手くやらなあかんっていう、そういう気持ちがない表現っていうのがいかに素晴らしいかっていうことですね。
山下
そういう気持ちで書けるのは子供のときだけですよね。それが爺さんになっても出来た熊谷守一という人もいますけれど。
加島
突然ですけれど、ちょっとおたずねしたい事があるのですが、私どもに雪村を希望されるお客様がおられまして、作品を捜しています。雪村はまだ手に入る可能性は有るんでしょうか。
山下
雪舟はむつかしいでしょうが、雪村ならまだ可能性はあると思います。私はもともと専門が室町水墨なんですが、雪村には随分思い入れがありましてね、2002年に僕が企画した雪村展を東京では渋谷の松濤美術館でやりましてね。その時に海外にある一級品も含めてかなり集めたんですけど、雪村は室町の画家にしては作品が多い。ただハイクラスの雪村にお目に掛かることはなかなかないのですが、8年前の展覧会の時には新出の山水の屏風が並びました。保存状態が悪かったですが、郡山市立美術館に入りました。
作品が残っている理由の一つに、雪村っていう人が田舎にいた人だからということがあります。戦乱で焼けている率が割と低いんですよ。
加島
あぁ、そういうこともあるんですか。
山下
でも考えてみれば16世紀の画家の絵が存在すること自体希有なことですよね。
加島
先生は室町水墨から入られ日本美術を研究なさってますけど、お書きになったご本を拝見したら、最初は音楽家志望だったとか。
山下
そうなんです。学生時代、僕は音楽ばかりやっていて、琴の演奏家になりたいとずっと思っていたので、学部の学生の頃っていえば心ここにあらずで大して真面目に勉強してなかったんですよ。でも普通に就職したんじゃ音楽を続けられないから、仕方なしに大学院にでも行くか、なんてね(笑)
加島
そうだったんですか。
山下
だけど次第に音楽で食べていくのはなかなか難しいことがわかって、美術史をやっていくしかないのかなって考えるようになりました。20代終わりくらいから腹くくって勉強するようになったんですけど、でも本当に美術史が面白くなってきたのは30代後半からメディアの仕事が飛躍的に増えてきてからで……。僕はどちらかっていうと細かいことをコツコツ研究するよりジャーナリスティックな仕事のほうが向いているんですよ。
加島
先生が美術の根本的なところから世間にアピールしていただけることはとても大切なことだと思います。
山下
まぁ、日本美術の広報部長をやってるような気持ちはありますよね。
でもここ10年で日本美術に対する風向きは随分変わってきたと思いますよ。本格的な展覧会をやれば、ずいぶん人が入るようになりましたよね。長谷川等伯展もそうだし、柴田是真の展覧会も会期終盤には主催者がびっくりするくらい人が入って。
これまでの美術の解説書ではたいした扱いじゃなくても、本当の実力派っていうのはこれからも必ず浮上してきますよ。
加島
河鍋暁斎もかつては今とは比べられないほど評価が低かった。
山下
河鍋暁斎は一昨年、京都国立博物館で開催された展覧会が大々的なものでは初めてなんですが、京都ではそんなに知名度のある人じゃないから、果たして人が入るのかって学芸員が心配していましたけど、蓋を開けてみたら口コミでずいぶん人が入って盛況だったんですよ。
加島
暁斎も多作でいろんな雰囲気の作品を遺していますが、醒々暁斎っていうくらいだから随分お酒飲んだんでしょうね。
山下
そうですね。丁度ここに暁斎展の図録がありますが(図録をめくり)この一番大きい引き幕は、直前に大酒飲んで、それで何時間かで、がーっとパフォーマンス的に描き上げたんですね。そうそう。それでね、これよく見ると暁斎の足跡があるんですよ。
石垣
へぇ!踏みつけて描いちゃったんだ!
山下
たしか、三カ所足跡がある。これがまた、ちっちゃい足なんだよねぇ。小柄だったんじゃないかなぁ。
加島
でもこんな豪快な絵を描くんですよね。
山下
お酒の力もかなり入っていますからね。ま、基本的に飲み過ぎで死んだ人だから(笑)
ところで、ここに渡辺省亭が掛かっていますがいいですね。私も1点省亭持っていますよ。鷺の絵でね、とても気に入っています。
加島
省亭は鷺をよく描きます。
山下
そうですよね。省亭なんかは実力の割に一般的知名度が低い代表格だと思うんで、だから安すぎてやや義憤に駆られて買いました(笑)
加島
省亭の評価は一般的にはまだまだ低いですからね。
山下
これから評価が上がると思いますよ。どこかで一回きちんとした展覧会をやったらいいんですよね。あと、海外に結構流出しちゃってアメリカにかなりの数がありますね。
石垣
確かに海外のお客様がいらっしゃるとすごく省亭は人気です。省亭が誰かは知らなくてもご覧になってすごく気に入って下さる。
山下
そうでしょ。この人は油絵的な表現も取り入れてますよね。その油絵的な立体感っていうのもまた海外の人にわかりやすい理由の一つかな。
これからきちっとした再評価が望まれる人ですよね。
石垣
人物研究なんかされている方はいるんですか?
山下
練馬区立美術館の野地耕一郎さんが、研究結果を発表されつつありますね。美術館のニュースレターで。でも、まだ本格的な画集っていうものもないしね。熱心な学芸員がきちっとした展覧会をやって、ちゃんとした図録が出来れば、それをもとに色んな情報が集まってくると思うんですけどね。
僕が学芸員だったら「渡辺省亭展」、やりたいですね。
加島
本日は貴重なお時間を頂戴して、楽しいお話を沢山聞かせて頂き本当に有難うございました。

※上記は美術品販売カタログ美祭7(2010年4月)・美祭8(2010年10月)に掲載された対談です。

profile

株式会社 加島美術 加島盛夫

  • 株式会社 加島美術
  • 加島盛夫
  • 昭和63年美術品商株式会社加島美術を設立創業。加島美術古書部を併設し、通信販売事業として自社販売目録「をちほ」を発刊。「近代文士の筆跡展」・「幕末の三舟展」などデパート展示会なども多数企画。

山下裕二

  • 山下裕二
  • 1958年、広島県生。東京大学大学院で日本美術史を専攻。
    明治学院大学教授。美術史家。
    日本美術応援団として赤瀬川原平氏とともに対談集を多数上梓している。

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