今昔美術対談 Art Interview Vol.009 歴史上の人物 PART1

時代ごとにこの国を支えた偉人達の小さな楽しみを持った日々の交流に第一級の史料である手紙を駆使して増田孝先生がせまる!

加島
今日は手紙についていろいろお話しいただこうと、ご自宅まで押し掛けてまいりました、失礼をお許し下さい。先ず増田先生が文書に興味を持たれたのはどういった事からでしょうか。お聞かせ下さいますか。
増田
私がこの世界に入った切っ掛けは大学時代に遡ります、二十歳前後ですね。学校では書を研究していました。そのころ東京国立博物館の一室を会場にして月一回手紙の勉強会が行なわれているのを知ってそこへ参加したんです。面白かったですね。毎回行くことが楽しかった、ほとんど休んだ事はないんです。その時に出会ったのが波多野幸彦先生なんです。すごく勉強になりましたね。書の見方とか物事の考え方とかを学びました。一言でいうなら私の一生を通じての恩師です。
加島
私も波多野先生との出会いが無かったらこの仕事を続けてこれなかったと思うくらい影響を受けました。特に人生の過ごし方とかは魅力がありましたね。もっと長生きしていただきたかった。
増田
東博の勉強会で波多野先生を中心によく話題になったことは、書といっても古筆や墨蹟その他いろいろ有るけれどやっぱり手紙が一番面白いという事でした。年中この会話になるものだから僕もどんどん手紙の世界に引き込まれて行っちゃいましたね。昔から書は人なりと言いますが特に手紙には時代背景や環境、立場、趣味、体調に至るまでいろんな事情が文面に出て来る事があり、その面白さは量り知れません。それに推理する楽しみも湧いてきます。私文書ですから……
加島
なるほど、手紙にはいろいろな面白さがあるという事ですね。それでは、具体的にお尋ねします。戦国武将に伊達政宗という人物がいます。政宗の筆蹟の中には手紙の他に歌を読んだ短冊や懐紙なども残ってると思うのですがそれらを比較してもやはり手紙が面白いですか。
増田
そうですね。文書の方が圧倒的に量が有る訳ですから政宗という人物を知る上では手紙に比重がかかる事は確かです。でも波多野文庫にある辞世とも取れる桜の歌の詠草はその内容とともに書作品としても秀逸なものです。これは波多野先生の愛蔵品で、仙台市博で伊達政宗の遺墨展にも出陳されましてね。市の博物館が寄贈をお願いしたら、波多野先生がこれは私の愛して止まないものだからイヤだとおっしゃったエピソードがあるんです。(笑)
加島
そんなことがあったんですか(笑)それでは歌の内容についてお教え下さい。
増田
あれはね。詠んだ場所も年も判る最晩年のものでね。政宗は病に冒されて死は覚悟しているのだけれど参勤交替で江戸に行かなければならない、もしかすると仙台で観る桜はこれが最後かも知れないという悲しい気持ちを込めた和歌なんですよ。それで実際、江戸へ行って桜田屋敷で寛永十三年に亡くなる訳です。家光の見舞も受けるんですがね。まさにこの世の別れの歌なんです。ちょっと胸を打つものが有ります。
加島
まさに辞世の歌ですね。戦国武将ではあっても人間の情は同じなんですね。
増田
そうなんです。それから、政宗という人物の心中は、なかなか複雑でね。秀吉の小田原攻めの時なんかは東北の雄として、仙台に留まったまま参戦はしないんです。この事は秀吉の大きな怒りを買いました。小田原征伐が終ったあと、政宗は白装束に十字架を背負って秀吉に謝りに行くんです。死を決しての衣装ですよね。その時秀吉は持っていた杖で政宗の首を叩き、あと少し遅ければこの首はなかったぞと言って許してやったそうです。まあ政宗の伊達な芝居に秀吉が知ってて引っかかってやったというところでしょうかね。(笑)
加島
へえー、すごい話ですね。政宗という人物にはまだまだ逸話がありそうですが、ここで史料の解説に移っていただき途中で又面白い話が有ればお聞かせ下さい。
増田
わかりました。それでは実際に見ていきましょう。床に掛けた二幅は共に政宗の手紙です。右のまるい卵形花押が書いてある方の手紙は宛先が特定出来ないのですが、内容的には面白いものですよ。手紙をいただいた御礼を言ってるところから始まって、相手に対してその手紙で「鮑のわた」を所望しているのですよ。
加島
エッ、政宗がですが、鮑の腹わたの旨味を知ってたんですね。
増田
そうなんです。グルメですよね政宗。そして夏の酒の肴には鮑のわたが一番だ、と続いて行きます。この卵形花押の物は私的な内容でごく親しい人に宛てる場合に多いようです。次に左の方もほぼ同時代の手紙ですが花押が鶺鴒形になってます。これはもうちょっと藩外の人間に向けた花押と思われます。因幡淡路守に宛て、昨日は御出忝(おんいでかたじけな)く候、と来ていただいた御礼の書き出しから、昨日の今日で急な事だけど自分の屋敷の花が盛りなので御出でいただけませんか、との招待の内容になっています。おそらくお茶事をするという事でしょう。返し書きで金森伊豆守、これは宗和の兄弟ですがこの人にも案内してますからご一緒になると思います。どうかお運び下さいと誘っています。三月十日は今の暦で四月中頃でしょうか。
加島
花見のお茶ですか、風流ですね、政宗は茶事が好きですね。
増田
そう、大茶人ですよ。もう一通、塩鮭のことが出てくる手紙をお目に掛けましょう。これも卵形の花押でね、昨夕お手紙いただいたのですが、すぐご返事が出来なかったのは本光国師にお茶を差し上げていたのです。本光国師というのは南禅寺の金地院崇伝のことで「黒衣の宰相」といわれ秀忠の頃に非常に政治的な行動をした人ですがね、その事があったので失礼したけれど、明後十九日にあなたにお茶を差し上げたいので必ずおいで下さいというお茶の招待状なんです。そして返し書きに、ちょうど今、国元の仙台から塩引き鮭を送って来たので五本持たせますが、このうちの二本は塩出ししてあるのでそのまま食べられます、あとの三本は水を換えて三日間ぐらい塩出しして食べて下さい、とね。丁寧にレシピが書いてあるんですよ。
加島
へエー、面白いですね。
増田
だから相手は鮭の調理法をあまりよく知らない人物なのでしょう。備前の池田三之介、光政の婚戚関係に当たる人です。本光国師が登場してるんで江戸に居る時になります。これもお茶のことなんですよね。
加島
なるほど、政宗にはお茶に関係した手紙が多いことがよくわかりますね。特にこの丸い卵形花押の手紙は書きっぷりもすらすらとして、私的な風情がよく出てますよね。
増田
そうです。気軽な感じで書けてます。ではもう一つお目に掛けましょう、これは私の蔵品の中でもチョッとしたものでね、見たいですか?
加島
もちろん、眼福を得させて下さい。アッ、その前に私共から二点ほどお目に掛けたい物が有るのですが、先に見ていただけますか。
増田
ハイ、拝見しましょう。
加島
先ず一幅目は、お客様から預かってきたお軸で増田先生の封筒に入った解説が付いてるんで是非見て下さいとの依頼で…光悦です。
増田
うわー、これ僕の手紙ですよ。懐かしいような恥ずかしいような高校の教員時代で、二十六、七の時に書いた手紙ですよ。この消印見ると昭和五十二年のスタンプ押してあるでしょ、僕の最初の本が河出書房から五十五年に出るんですが、その時に史料にこの光悦の手紙を写真で使わせてほしいと所蔵家にお願いしてるんですよ。内容解説もしてます。うわー、恥ずかしい絵なんかも入れちゃって、私なりに車軸の釜について一生懸命勉強したんですね。でも生意気な文章ですね。若気の至りです。掛物自体は光悦の本当にいい手紙です。
加島
見やすい光悦ですね。それから、もう一点これは私共の美祭に使うので見ていただこうと持参しました。
増田
御水尾天皇の手紙ですね。結構なものですよ。昭和三十三年に是澤先生も箱書きされてるんですね。えーっと、昨晩はお手紙ありがとう、ご気分も良いとのことめでたいことです。そして御水尾さんの一番上の姫、梅の宮のことが書かれてますね。梅も元気です。こちらの道具と本などを整理しているのですが、わからない物もあるので送った目録でもしあなたがご覧になり大切なものなら取って置きますし不用なら処分したいと思います。その選別をお申し込し下さい。との内容ですね。
加島
宛先はどなたでしょうか。
増田
宛名はひもじ様とありますから…そうすると東の御所にお住まいの女性ということになり、後水尾さんの姉さんですね。かな手紙は女性にあてて書く訳ですから。
加島
なるほどいろいろとありがとうございました。それでは先程おっしゃってたご秘蔵のものを拝見できますでしょうか。
増田
はいはい、今持ってきますからお待ち下さい。
 
書庫へ向かわれた先生を見送って次に拝見できるものに興味津々なのですがこの後は紙面の都合上次号の掲載とさせていただきます。ご期待下さい。

※上記は美術品販売カタログ美祭9(2011年4月)に掲載された対談です。

profile

株式会社 加島美術 加島盛夫

  • 株式会社 加島美術
  • 加島盛夫
  • 昭和63年美術品商株式会社加島美術を設立創業。加島美術古書部を併設し、通信販売事業として自社販売目録「をちほ」を発刊。「近代文士の筆跡展」・「幕末の三舟展」などデパート展示会なども多数企画。

増田孝

  • 増田孝
  • 日本の古文書学者、書跡史学者。前愛知文教大学学長 前東京大学文学部講師。1971年(昭和46年)に東京教育大学(現在の筑波大学)教育学部芸術学科卒業後、千葉県立船橋高等学校教諭等を経て、愛知文教大学教授に就任。研究分野は日本書跡史、日本文化史。著書多数。テレビ東京の番組「開運!なんでも鑑定団」のセミレギュラーとしても活躍。

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