武内先生とは三十年来の旧知の間柄、美術史家・研究家・評論家、そして蒐集家である先生、でも一番ふさわしいのは少し大仰に言わせて頂くと、数寄者とお呼びすること。美術を楽しんでこられた人の自在の境地をお伺いしました。
加島
お暑い中、お出向き下さいましてありがとうございます。今日は日本の美術について、武内さん流にいろんな角度から切り込んで頂きたいと思っています。よろしくお願いします。早速ですが、この光琳の双鴨図は最近手に入れたもので、『光琳図譜』に所載されています。ご覧頂けますか。
武内
琳派らしい優品やね、土坡が淡墨で描かれ、そこへ叢から出て来た双鴨がスッと立っている足元もしっかり描いてある。なかなかええね。もう少したらし込みが強い方が良かったかも、しかし手前の鴨の尾の先がくるっと回っていて変化があって面白い。表具の毘沙門亀甲の中廻しでこの重厚な表具も合ってるよね。 表具で思い出したんやけど、最近の表具屋はんの感覚はアカ抜けしすぎてると思います。今、東京国立博物館で対決の展覧会やってるやろ、そこに蕪村の『山色楼台図』が出てるんやけど、えらい表装がアカ抜けしてしもて合わん様になってしもてる。あれなんかは、京都の上流の町屋のうす暗い床の間に掛かってて、「蕪村はんですな」、「へえ、そうです」…旦那衆の会話が聞こえてくる様な風情が合ってるのに、何でも表具換えて立派にさえさしたら良いというのはおかしいと思う。現代の人はその軸が掛けられてた時代とか環境とかを推察することをなかなかせんね。
雪舟作品で国宝『秋冬山水図』という有名なものがあるんやけど、あれなんかもまるで複製を表装する様な裂と換わってしもてる。あの作品は京都の曼珠院門跡に伝来して、元々は派手な表具やった。でも水墨画と雖も掛ける床の間が曼珠院の貼り付け絵の床で公家の好みもあって、そんな派手なお金の掛かった表具がされてたんやということを理解せな、現代の床の間に合わせたり建物の壁面の色に合わせることばっかり考えて表具してたら掛物が無茶苦茶になりまっせ。あんまり掛物をいろたらあかん、改装しないことが、伝来を尊ぶ事につながり、伝世の証にもなるのです。
加島
おっしゃることは良くわかります。ところで、武内さんにとって、美術鑑賞の基本とは何ですか。
武内
まず、第一印象が大事やけど、次に鑑賞する美術品の制作された時代と環境に思いをやるということかな。絵画でいうなら描いた人の時代的背景はどうやったか、どこに住んでて人間関係はどういうふうやったか、身分やお金が有ったか、無かったか他にもいろいろ推測して作品の成立を考える。
加島
なるほど、その辺りから入って行って、後は自分の感性との相性ですか。
武内
そうやね、ここからは個人の好き嫌いの感覚が入ってくるからね、難しいねー。真偽の問題にしても落款と署名だけでは判断出来ないし、この線がどうの、絵具がこうのと言っても絵描きさんのその時の状況という事もあるのでね。学問的な解釈だけでは無理でしょ。
加島
はっきり黒白つくこと、つかないことがあるということですか。
武内
完璧な作品というのは、なかなか無い訳だし、学問的鑑賞態度だけでは作品を深く味わう事は出来ないし、その本質に迫ることも出来ないと思います。見る者自身がいろんな事を勉強して、作品を読み解く力を持つことが大切です。そして沢山ものを見て、感性を養うことですね。なんにもせんと感を研くことは出来ません。京都あたりの数寄者が使う言葉で、「よろしいなー」と腹の底から溜息のように出る言葉、あの言葉が言える様になったら本物ですね。
ところで、この高橋草坪、よろしいなー。よう描けてる。
加島
草坪は、なかなかいいものがないのですが、これは自信があります。
武内
私はあまり文人画は得意でないのですが、この草坪の良さは判ります。絵から受ける迫力がすごいし、生きてるね。蓮の葉の虫食いも上手に表現してある。構図がこう「くの字」に作られているので、奥行と動きがあるのですね。鷺の目も鋭くて、とにかく結構なもんです。
加島
話は変わりますが、武内さんご自身のコレクションで思い出深い物とか、お気に入ってらっしゃる物の話をお聞かせ願えませんか。
武内
私が一番打ち込んでいるのは、お花です。だからその方面に関係した掛物や器物に心が動きがちです。西川一草亭に私淑していて書画など持っていますが、数もあるので又の機会にお話ししますが、私が蒐めた物の中で一番思い出深い物といえば、高野の水瓶ですね。浄瓶とも言いますが、ある時京都の古美術店で見かけて気に入って、買いたい旨店主に伝えると、「これは止めなさい。もう少し銅の色とか上りの良いものが入ったらお世話しますから。」と言われたの。そして待つこと十余年。手に入った。やはり待って待ってという状態だったから嬉しかった。高野山で室町期から使われていた水を入れる銅器でそんなに希少なものでもないのやけど、私はとにかく欲しかった。
加島
今も大切にされていますか。
武内
勿論、大事にしています。私は思うの。何か欲しい物が有って、その物の事を一所懸命思って念じていると何時か必ず物の方から近付いて来る様に思うの。不思議やね。もう一つ、漆で作った鰹の蓋物、大ぶりの器で彩色して鰹の形をしてる、蓋を取って料理を盛って使うんです。昔、江戸東京博物館でシーボルトに関する展覧会をやった時、私の買った物とは違うのだけど、同種の物が飾られてあったのを見たんです。シーボルトが日本から持って帰ったの。悔しかった、私は高知県人でしょ、「私が持たんとなんでシーボルトやねん!」と思ってね。今度出て来たら必ず買う、そしたらほんまに出て来たんや。十年程前に骨董市で見付けた、嬉しかったわ。手に入れてすぐ大切な先生方を招いて高知の実家で土佐料理を食べて頂く宴を催したんや、この器を使こて皿鉢料理ということで…
加島
武内さんは凝り性やから、細かいとこまで工夫されたんでしょ。ところで、それは古い物なんですか。
武内
箱書に宝暦の年号がありました。作者も判り、今の千葉県辺り、下総藩の堀田家で使こてたという事も書いてあった。あっちの方も鰹獲れるんでしょ。
加島
面白い話ですね。他にも沢山コレクションがお有りと思いますが、今日見せて頂くそのお軸は何でしょうか。
武内
あ、これ? あなたのとこから買った柳宗悦の「茶ニテアレ茶ニテナカレ」の書幅です。文句が気に入って熊倉功夫先生に箱書もしてもらって楽しんでます。この前の茶会の時にも寄り付きに掛けました。
加島
ありがとうございます。柳宗悦が出たので、お聞きしたいのですが、武内さんが通ってこられた道筋から言って旧来の格がものを言う世界に身を置いてらっしゃる様に思うのですが、そういう格式と一線を画す民芸というものをどの様に考えられているのでしょう。
武内
私は、柳宗悦の民芸作品を否定しません。だって利休の認めた井戸茶碗だって民衆の生活の中から出て来たものだし、最初、対象になるものに美を見出す時にそれがどういう物かということはあまり関係ないと思うのです。美しいとか面白いとかを感じるかどうかです。一方、すでに格付けされた美術品というものはそれを愛玩した人間とか環境、いわゆる伝来由緒という事で箔が付き、時代を経ることで益々付加価値が生じるものなのです。格の高い物を好むか、生活に根差した物の中の美を好むかは、それぞれの自由です。只、憂うべきは、今の時代、格を壊す流れが強すぎる事です。やはり昔からの格式の高い事物を尊び、畏れ、そして愛する、この心を持ち続ける事が必要だと思います。
加島
本日は貴重なお話しをお聞かせ下さいまして、ありがとうございました。 |
Profile
加島盛夫
株式会社加島美術
昭和63年美術品商株式会社加島美術を設立創業。加島美術古書部を併設し、通信販売事業として自社販売目録「をちほ」を発刊。「近代文士の筆跡展」・「幕末の三舟展」などデパート展示会なども多数企画。
武内範男
日本文化史研究家
昭和22年高知県生。大谷大学大学院仏教文化専攻、修士課程修了。思文閣勤務ののち、財団法人畠山記念館に学芸員として奉職、退職後、茶道・花道史を軸に日本文化史に関する論文を執筆する。また茶道愛好者を対象に茶花の講習会を開催、普及に努める。講演、著書も多数。
※上記は美術品販売カタログ美祭4(2008年10月)に掲載された対談です。