今甦る先賢の遺墨 江戸時代の儒家佛家そして文人達
先人賢者を語る木南先生の目はお優しく時空を超えて慈雲尊者のうしろ姿がうかがえるところまで連れて行ってもらえた、そんなひと時でした。
もともと私は先賢の学問・思想に関心があり、その勉強をしていた訳で、人物研究が根本ですから、最初は書自体を鑑賞するという事はありませんでした。しかし、人物の偉大さを知るにつれて、その筆蹟にまで興味が湧き実物を見たいという気持ちになって行きました。これは、ごく自然の事なのでしょうね。念願かなって手に入れた書幅を床の間に掛け、書かれた語句・詩文を読み、意味を考えて心の養いとさせてもらって来たわけです。 少し話を進めます。江戸時代の儒者、佛者、国学者そして文人達の筆蹟はその数がかなりの量なので、概要は私のまとめた『先賢遺墨』を見て頂くとして、私が儒教に関心を持ったのは大学生の時で、特に伊藤仁斎の古義学に興味を持ち勉強をしました。伊藤仁斎を研究して行く過程で、仁斎の書というものを見たいと願う様になっていったのです。ところが仁斎はその当時から高名で偉い学者であり、書かれたものも少ないので、そう簡単に見ることは出来ませんでした。 でも願えば通ずのたとえで、その後多少時間はかかりましたが、最晩年の細字の上品な楷書のものをはじめとして、何点かは手に入れることが出来ました。それには京都・大阪近郊に住んでいるという地の利ということもありました。また、大阪の懐徳堂の人達のものとしては、三宅石庵をはじめ中井竹山・履軒の書も沢山拝見しました。京都の春日潜庵や但馬の池田草庵の学問思想を勉強しているなかで、その書にも興味をもち、眼福を得ました。これらの事はまさに地の利によると言えるのでしょう。 写真ですが、これが藤樹先生の書です。格調の高い書で、文章も含蓄のある内容であり、先生の人間としての魅力が良く出ています。でも遺墨は極めて少なく、私も二、三点しか持っておりません。機会があればお見せしたいと思います。 まず、元政上人の「南無妙法蓮華経」については如何ですか。 尊者はいろいろな言葉を書かれていますが、揮毫をお願いする人の気持ちを汲んで語句を選ばれた事もあったと思います。多くの人は「無事是貴人」・「知足者常富」等の判りやすい言葉の方を喜び、表装して床の間に掛けたことでしょう。 尊者は三十代に柳里恭や細井広澤の書に影響を受けられ、五十代半ばには慈雲尊者としての書風を確立されました。そして七十才前後からは独特の風格が一段と現れて来ます。今拝見している一行も七十代の作です。七十以後には神道の研究も深められたのですが、その最晩年の書からは枯淡にして神韻のただようといった趣が感じられますね。 尊者の書では、晩年の名号とか神号をつつしみの気持ちを込めて書かれた楷書風のものが尊いと言う人がいますが、私も同感です。一般的には禅語などを美しいかすれを駆使して筆勢がよく現れているものが尊者の書として親しまれ喜ばれているようです。 楷書というのは書を論ずる上で非常に大切な要素で、書いた人の内面のぐっと秘めた気持ちと姿勢が現れるのです。知人に豪潮律師の書を尊重している人がありますが、その人の案内で或る寺院の紺紙金泥で書かれた阿弥陀経を拝見したことがありますが、その楷書の字は格調高く、身が引き締まる様で、何時も見る豪潮とは格が違いました。 また木庵さんなんかもキチッとしたいい楷書を書かれています。品格の有る楷書が書けてこその行書だと言えるかもしれません。 尊者と里恭の親交を示す事柄として、尊者が四十一才の時生駒山中に雙龍庵を結ばれたとき、その記念としてでしょう柳里恭が慈雲尊者の雙龍庵巌上坐禅像を描き、それに尊者が自作の歌を賛に書き入れられている立派な肖像画が現存しており、この最初の肖像画を手本に、ずっと尊者の晩年まで数人の手によって尊者の肖像が描き継がれ、その数は五十点にもなり、その肖像画に尊者が種々自賛の詩文を書き入れておられます。これを禅家で描かれる頂相の数と比較すれば随分と多く、特別なことだと思います。 三十代の尊者の書と人間関係について話しましたが、後年尊者風が確立してからの書の魅力の一つに、私は独特の間の取り方があると思っています。文字の配列の間がとても美しいのです。大小どんな空間にでも慈雲の書が合うのは、この活き活きとした間によるものと言えるでしょう。 |
Profile
加島盛夫
株式会社加島美術
株式会社加島美術
昭和63年美術品商株式会社加島美術を設立創業。加島美術古書部を併設し、通信販売事業として自社販売目録「をちほ」を発刊。「近代文士の筆跡展」・「幕末の三舟展」などデパート展示会なども多数企画。
木南卓一
大正13年、大阪府生。京都大学中国哲学科卒業。帝塚山大学名誉教授。東洋思想研究家。東洋古典講座や十善法話勉強会を大阪・東京にて開く。慈雲尊者及び江戸期の思想家についての編著書も数多い。