和の心を繋がんと、゛筆墨よ永遠なれ!″と書作の傍ら教育現場での指導にも当たられる渡部清先生に書の魅力について伺う。
加島
今日は私共加島美術の看板を揮毫していただいた渡部清先生に書についてお話いただこうと、ご自宅まで押し掛けてまいりました。どうかよろしくお願い致します。
早速ですが先生の師である西川寧先生のことからお伺い出来ますでしょうか。
渡部
話すことが一杯あるんですよ。西川先生は、僕が大学三年の時それまでの教授が定年退官される事になって、後任に西川先生に来ていただくことになったのです。先生の作品やお考えについては多少知ってはおりましたが、お会いしたこともないし、有名な人だっていう事は判ってたんですけれど、初めの印象はもう畏ろしい先生だと思いました。怖いっていうか、とにかく変わった先生でね。
加島
へえー。そうなんですか。
渡部
西川先生は非常に自負のようなものをお持ちの方だと感じました。先生ご自身が私のような物知らずを迎えていいのかね、とそんな意味の事をおっしゃってね。それで僕は本当にびっくりしました。そういう先生は初めてでしたからね。一事が万事全てそういう調子で慣れるまで大変でした。本当はいい先生なんですけどちょっと構えてるところがありましたね。うっかり質問しようものならさあ大変ですよ。それに関連したことをどんどん話されて、僕らはそんなに知識が無いし、反論なんか出来ないのを承知の上でおっしゃるっていう、面白い先生でした。
加島
そうですか。(笑)ところで先生が西川先生にお会いになった時は、西川先生のお歳はどれくらいだったのですか。
渡部
あの頃国立大学の先生の定年が63歳くらいだったと思うんで、4年か5年で退官なさったから、恐らく50代の後半だったと思いますよ。
加島
なるほど。気力が満ちてられた頃なんですね。
渡部
書の練習について、僕はどの先生に就くということはせず、大学で教わっただけですけれど、西川先生の書が好きでしたから、先生の影響を受けましたね。西川先生に習ったことを基にして、古典を中心に勉強させてもらいました。僕の個展を長野県諏訪でしましたが、これはその時の図録で、西川先生の書に良く似てるって皆さんに言われたんです。漢字は結局、西川先生の風を追っていくような形で、あとは自分流です。それから、仮名は、大学時代に森田竹華先生から教わったことを基にして、あとは自分で勝手にやっているっていうだけで。
加島
西川先生が大学に来られた時は、書道史を教えるということで来られたのでしょうか。
渡部
実技ももちろんです。書道界では書を書く事と、書道史と両方が良くできる先生っていうのがなかなかいらっしゃらなくって。でも西川先生は、その点非常に両方で優れている方ですから。
加島
古きを探求されるからこそ、ご自分の色々な含み、幅が広くなるっていうことでしょう。やっぱり、古いことを勉強されなくて、自分のお師匠さんの真似だけをされているような書家では、ねえ。
渡部
まあ、そういう方が多いんでしょうけれどね。
加島
渡部先生のお姿見てたら、学者の部分と書で芸術的な何かを表現するという、実際に書で深い歴史を探るっていうところとふたつお見受けしますから、普通の書家さんとは違うなあ、っていうことは前から思っておりました。
渡部
いや。そんなことはないんですけどね。たまたま書は好き勝手にやっているだけで。僕は四年生大学在学中からNHKの大河ドラマなどのタイトルを書く仕事もしていて、この図録の後ろの方に載せてあるんですが。
加島
NHKとの関わりはいつ頃からなんですか。
渡部
大学卒業する前からもうNHKと契約が出来て仕事を始めていたんです。その他に、筑波大附属中学講師に、大学一番最後の学年の時から行っていたんです。その後附属高校の講師は60歳まで続けていました。
加島
先生の図録にあるこのあたりの字が、加島美術の看板の字と似ていらっしゃいますね。
渡部
僕の書は、テレビでご覧になるとすぐ分かるらしいですね。西川先生が書の線っていうのは、紙を切るような鋭さっていうものがないと駄目だって、良くおっしゃっていましたね。スパッと切るような、紙を切るような線というのはいつも心がけているんだけど、なかなかそれができなくて。
加島
いやいや、先生がそんな。
渡部
僕は色々なことを試みてはきましたけれど、書に対して思うことは結局、展覧会のための書じゃなくて、実用の書が大切だということです。何か書いてくれって言われた時に、それに応じた書が書けるのが一番大事だと思うんです。書って、皆が言うほど芸術的なものじゃないと思うんです、ある意味では。何か書いてくださいって言われたときに、例えば表札書いて下さいとか、封筒の表書き書いてくれとか、のし紙書いてくれとか、看板や本の表紙になる字を書いてくれとか、そういうことを言われたときにそれに適応する書が書けるというのが、僕は一番大事だと思っているんです。
加島
ほうー。そうなんですか。
渡部
だから、そういうことに適応できるような、どんな字でも書けるということ。実用に適応できるような書が書けるということが、書では僕は一番大事だと思っているんです。だから、なるべく何でも書く。何でも嫌だと言わずに書く。
加島
私共の看板もそういったところで書いて頂けて。ありがとうございます。
渡部
そういう訳じゃないけど、そうでなきゃいけないと思うんですよ。恥も書く、何でも書くっていうくらいね、書かなきゃいけないんじゃないかと思うんです。
加島
それで、今先生がおっしゃるような実用の書にも、力強いなとか、線がきれいだなとか、素人って感じますじゃないですか。そういう芸術というか、美的なことを含んだ線、書というものと、物事を伝えるための書との違いというのは、どういう風に考えたら良いでしょうか。
渡部
書っていうのは、一番最初にできた文字、甲骨文だとか金文から始まるのですが、神に捧げるための、あるいは神と通話、お話し合いをするための道具なんですよ。で、神の意志を聞くと言うような時に神は、こういう風におっしゃってます、と記録する。そういう為の記号だったのですから、元々美というものとは、あまり関係ないところからはじまってます。
加島
はい。
渡部
それがだんだんと、その形とか線に美を意識する。それでできるだけ美しい表現を、となってきた訳です。時代と共に筆記具の変僊などもあったりしてね。ところで近年は人間が手で文字を書く代わりをコンピューターがするようになってから、非常にはっきりしてきたことに次のようなことがあります。人間が考える、それをすぐメモするとか、書くとか、あるいは相手に意志を通じるという道具として、自分の手を使って書くということが少なくなってきて、書は展覧会のためにあるようにだんだんなってきているんです。時代の流れですからね、そうなってしまっているのは仕方がないと思うけれども、それでも、さっと何かメモしたりするという時は手で書きますよ。そういう時、やっぱり書というのは実用であるということが一番大事だと思うんです。
加島
美とか精神の何かを表現するというよりも、まず実用ということでしょうか。
渡部
実用なんだけれども、やっぱり人間って美しく表現したいっていう気持ちがいつもありますよね。だから実用ではあるんだけれども、自分が心を込めて美しく書きたいという、その結果いい書ができればと。昔はそうだったと思うんです。王羲之の書が良いって言われています。ところで彼の書は実物は無いけれど、何らかの形で残っているものはだいたい手紙なんですよ。喪乱帖とか孔侍中帖(こうじちゅうじょう)だとか双鉤塡墨(そうこうてんぼく)ですけれど、それらは皆手紙なんです。すなわち実用の書です。それから、他の人たちの書も皆だいたい必要があって書いているものが多いと思うんです。昔はね。ですからそういうものでも、美しく書きたいとか、自然にその人が表現する時に美への意識が働くと思うんです。ただ書けばいいという訳ではなくて、やっぱり美しく書きたいとか。その結果、ああいい書だな。と人が感じるようなことが生まれてくるという訳ですよ。僕は極端に今実用だ、実用だと言っているけれど、芸術性のあるものでなきゃいけないとも思います。自然に良いものを狙っていくように人間はなるんですね、どうしてもね。
加島
なるほど。
渡部
実はもう50年くらいになりますけれど、ある出版会社の小学校、中学校の教科書の執筆をしているんです。癖のないいい書を書けっていうのが、教科書なんです。これが難しいですね。くせのない、しかも誰が見ても美しい書を書くっていうことですよね。こういうような仕事もしているんです。自己主張のない字を書くのには苦労しました。
加島
すごいですね。大変だなあ。今はコンピューターが発達して、自筆の書というものに興味を持つ人が少なくなってきてますもんですから、こうやって筆を持って書くということを、小学校、中学校でも教えている、その教科書を先生が書いて頂いているということは、回り回って僕らの仕事にも影響してきますので、よろしくお願い致します。本当にありがたいことです。 |
Profile
加島盛夫
株式会社加島美術
昭和63年美術品商株式会社加島美術を設立創業。加島美術古書部を併設し、通信販売事業として自社販売目録「をちほ」を発刊。「近代文士の筆跡展」・「幕末の三舟展」などデパート展示会なども多数企画。
渡部清
1934年(昭和9)生まれ。東京教育大学(現筑波大学)教育学部芸術学科、(書専攻)、同大学院教育学研究科修士課程修了(美術学専攻)。NHKで長年に渡りタイトル制作を担当するほか、東京教育大学附属中学校・高等学校書道講師、横浜国立大学教育人間科学部教授として約40年間教鞭を執る。現在は、日本相撲協会相撲教習所講師、手紙を読む会講師を務める。
※上記は美術品販売カタログ美祭13(2013年4月)に掲載された対談です。