鳥博士高橋の鳥舌技巧!

vol.5 醜から美を生む:月夜五位鷺

ゴイサギ(五位鷺)はサギ科の中型種(体長57cm)で、日本のほぼ全国に生息する。主に夜行性で、昼は特定の疎林に多数が集まって休み、夜は水辺(河川・湖沼・水田など)へ移動して小魚やカエルなどの小動物を捕らえて食べる。夜間移動の際に「クワックワッ」と鳴きながら飛び、その声や飛ぶ姿がカラスに似ているため夜烏(よがらす)とも呼ばれてきた。生息数はそこそこ多く、大都市圏でも小川や公園の池などで意外と容易に出会える。昔も今も人の近くで暮らす“隠れた身近な鳥” である。

日本絵画においてサギの仲間(ダイサギ・チュウサギ・コサギなどのシラサギ類やアオサギなど)は人気の画題だ。中でもゴイサギは頻繁に描かれ、「柳鷺群禽図屏風」(呉春筆 京都国立博物館)や「憩える車」(竹内栖鳳筆 山種美術館)などの秀品がある。ゴイサギが画題として好まれたのは次の 2つの理由からだろう。1つは、姿の純粋な美しさだ。ゴイサギの成鳥は、頭と背は青黒い一方で首と腹は純白と、体色のコントラストがスッキリしている。目の赤と脚の黄はワンポイント的な彩りとなり、頭頂から細長く伸びた白い冠羽は飾り気と静動の差異を表す。“洗練された美”または“現代的な美”と言えるだろうか。他方で幼鳥は、茶色の全身に小さな白斑が散らばった体色をしており、その装いからホシゴイ(星五位)と呼ばれて別扱いされてきた。こちらは“素朴な美”または“侘びの美”と言えるだろうか、萩焼や唐津焼の陶器にも通じる美しさがある。どちらも主役を張れる見栄えがあり、モノクロ画面もカラー画面も苦手としない。
もう1つはその身近さだ。前述したようにゴイサギは生息数が多く、水田や小川など人里の水辺にもたくさん住む。絵師や画家の大多数は、自分の家や作業場の近所でゴイサギと容易に出会えたはずだ。一時は食用として大量に捕獲されていた時代もあったようで、実物を安価で簡単に入手できたかもしれない。

では、省亭はゴイサギをどのように描いたのだろうか。本作品では、大きな満月が浮かぶ夜空を背景に、葉が枯れ落ちかけた枝垂れ柳に 1羽のゴイサギが佇んでいる。彼女(外見では性別は分からないので彼かもしれない)は背中を大胆に晒し、まるで「見返り美人図」(菱川師宣筆 東京国立博物館)のように整った横顔をこちらに向けている。涼しげな流し目は鑑賞者を捉え、太い嘴は微笑んでいるようだ。今夜は少し寝坊したのだろう、満月がそこそこ昇った時分で漸く水辺へ飛び立とうとしている。全体のバランスも各部位の描写も文句の付けようが無く、省亭らしい写実性で溢れている。すらっと伸びた脚裏の鱗や足指の描写は特に見事で、超絶技巧の極みと言えよう。

けれども彼女は“洗練された美”を持つ成鳥でもなければ、“素朴な美”を持つ幼鳥でもない。鳥類の中には性成熟して成鳥になるまで数年の月日を費やす種類がおり、ゴイサギの場合は約3年かかる。1年目の幼鳥は“素朴な美”を持っているけれど、その後2年間の若鳥は何の“美”も持てず、生涯で最も醜い。この彼女は成鳥に変わる正に直前(第3回冬羽)だ。今冬を乗り切りさえすれば、来春には衣替えして美しい成鳥となり、彼女は誰かと恋をするだろう。“洗練された美”は彼女の内に秘匿され、外見には全く表れていない。

醜い姿の若鳥をわざわざ選んで描いたところに、省亭の強い意図がある。ゴイサギが様々な羽衣を持つことや、群れの中に“美”を持たない若鳥がいくらか居ることを、鳥好きの省亭は知っていたはずだ。だからこそ彼は強気に若鳥を選んで描いた。自らの感覚と技術があれば、芸術性は自由に創造できることを示すために。過去の絵師が(もしかしたら未来の画家もが)意図的に避けただろう醜い若鳥であっても、自分の美意識と腕ならば“美”に変えることができる。このゴイサギを見ろ、醜い彼女は実に美しいじゃないか!本作品は省亭が日本絵画界に突きつけた挑戦状である。果たしてそれは誰かに受け取られたのだろうか。

高橋 雅雄

(鳥類学者 理学博士)

このページのトップへ

  • 渡邊省亭
  • 「月夜五位鷺」
  • 十二幅対 絹本 着色 共箱
    本紙115×40 ㎝ 全体212×54 ㎝
    〈大正初期〉
  • 大きく表示

このページのトップへ