鳥博士高橋の鳥舌技巧!

vol.7 様式の呪縛:鷹

日本絵画の花鳥画の分野で、猛禽類(タカやワシなど)は大人気の題材である。その勇ましい姿を描いた掛け軸は、古い日本絵画を扱う美術館や画廊で必ずと言っていいほど頻繁に見かける。描かれた種類は様々だが(イヌワシ・オジロワシ・トビ・クマタカ・オオタカ・ハイタカなどを良く見かける)、松や枯木にとまったものが多く、鷹匠が用いた木製の台にとまったものや、獲物を追いながら飛ぶ姿のものもいくらかある。権力の象徴として、または幸運の縁起物として、たくさんの作品が近年まで制作され続けたのだろう。

けれども私は、数多ある日本絵画のタカやワシのほとんどが、どうにも気に入らなかった。その理由は顔の描写にある。実物のタカやワシは丸い大きな目を持ち、それは獲物を両眼視できるよう正面を向いている。この特徴はネコやイヌなど捕食性哺乳類とも共通しており、受ける印象も良く似る。すなわち、タカやワシの顔はネコやイヌに似て意外とかわいい。一方で、日本絵画に描かれたタカやワシは、目の上部が直線的に描かれ、過剰に恐く険しい顔つきで表現される。これは写実的な絵でもデフォルメを効かせた絵でも同様だ。

この共通表現は、おそらく注文主の需要に応じたものだったのだろう。歴史的に、日本絵画の注文主は公家・寺社・武家・豪商のような権威・政治・経済の権力者であったはずだ。中でも中世において大きな権力を持った武将や大名などの武家は、武勇を尊び武運を望んだ。勇ましく、かつ縁起が良いタカやワシは彼らに最も望まれたに違いない。実物のかわいらしさは好まれなかっただろうから、顔だけは写実から遠ざかり、わざと恐く険しく描かれるようになった。これが更なる人気を生んだのだろう、一時の流行から伝統的な様式へと発展し、時が経つにつれて呪縛のようになっていった。そこに絵師や画家の個性が入り込む余地は無く、かの円山応挙も伊藤若冲も“様式の呪縛” からは逃れられなかった。

“鳥の絵師” 省亭はどうだっただろうか。本作品の“省亭のタカ” を初めて見た時、私は全体的に違和感を覚え、戸惑ってしまった。これはハイタカという小型のタカの一種で、体の各部位や羽毛など細部の描写は省亭らしく極めて写実的である(脚の鱗の描写などは過剰にスゴイ)。けれども体形は崩れて太過ぎ、顔は不自然であまりカッコ良くない。これはタカの右目(向かって左側)があまりに後方に描かれてしまって、両目が離れ過ぎてアンバランスになったからだ。そのため、目は険しい様子だが、全体的には滑稽な表情になってしまっている。

これはおそらく、不出来な剥製をモデルに描いたためではないだろうか。剥製とは、新鮮な死骸から肉・内臓・骨格の大部分を取り除き、綿や針金などを代わりに詰めて生前の姿を再現したものだ。鳥の剥製では、翼・脚・頭は骨の一部をそのまま残して形作る。その際、頭は皮を一度剥がして脳や目を除去し、頭蓋骨に皮を再び被せ、義眼を入れて仕上げる。剥がした皮を上手に被せることができなければ、しかるべき場所に義眼を入れることが出来なくなり、アンバランスな顔になってしまう。省亭がタカの顔を正しく写生できなかったとは考えにくい。本作品の不自然さは、歪んだ顔になってしまった剥製を写実的に描いたために生じたと推察できる。

けれども、このアンバランスさは美的には不都合だったはずだ。省亭ならば自らの技術で調和を取り戻し、顔を美しく描き直すことも可能であったろう。どうしてそうしなかったのだろうか。私は、省亭が“様式の呪縛” から離れようともがき苦しんだためだと考えている。省亭は、伝統的なタカの顔の描写様式が写実的ではないことに、私と同様に不満に思っていたに違いない。しかしながら、従来からの慣習は省亭の頭を占領していたはずで、問題意識はありながらも様式から逃れることはかなり難しかっただろう。歪んだ顔を書き直そうとすると、どうしても様式的になってしまう。そのため、アンバランスさを敢えてそのまま写し取ったのではないだろうか。

省亭は「紅葉蔦に鷹図」(個人蔵)で別種であるオオタカの成鳥を描いている。この作品では、顔の険しさは描かれていないが、目は実物よりもかなり小さい。ここでは省亭は“様式の呪縛” からどうにか逃れ得たようだが、実物のかわいらしさまで受け入れることへの心的抵抗は未だ残っていたのかもしれない。省亭は、日本絵画の“様式の呪縛” から逃れようともがき苦しみ、そして離脱の第一歩を踏み出した最初の絵師であった。

高橋 雅雄

(鳥類学者 理学博士)

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