PUBLICATIONS 鳥博士高橋の鳥舌技巧!

vol.25 中雙鶴左右松竹梅之図
渡邊 省亭 Watanabe Seitei
渡邊 省亭 中雙鶴左右松竹梅之図

三幅対 絹本 着色 共箱
111×35cm / 192×45cm

vol.25 タンチョウの目とマリー・テレーズの目

日本人なら誰でも知っているだろうタンチョウ(タンチョウヅルとも呼ばれるが、タンチョウが正しい標準和名)は、日本を代表する“おめでたい”鳥である。体は雪のように白く、顔と首と翼の次列風切羽・三列風切羽(誤解されがちだが尾羽ではない)は真っ黒で、頭頂には目立つ赤色部(実は露出した肌)がある。実物は体長(嘴の先から尾の先まで)が140㎝もあり、長い脚も含めると人間の成人男性と遜色ないほど大きい。世間一般の知名度は抜群で、今も昔も、鶴と言えば誰もがタンチョウを真っ先に思い浮かべるはずだ(マナヅルよ、ごめんね)。長寿や夫婦円満の象徴として人気があり、その絵画は“おめでたい”縁起物としてかなりの需要があっただろう。間違いなく、日本の花鳥画の主役である。

花鳥画家であった省亭は、当然ながらタンチョウを描いている。しかし、作例は意外にも多くないようで、本作品の他には「十二ヶ月花鳥図 一月」(個人蔵)や「雙鶴」(齋田記念館蔵)など少例しか見当たらない。中でも本作品は、三幅対の中幅ということもあり、2羽のタンチョウのみが堂々と描かれた代表作である。省亭はタンチョウをどのように描いていたのか、本作品を中心に論じてみたい。

省亭のタンチョウは、体や脚の描写はほとんど文句無しの出来栄えである。テレビの某鑑定番組で、某鑑定士が「花鳥画の良し悪しは鳥の脚の描写で分かる」主旨の発言をしていたが、私も全くその通りと思う。特に鶴の脚は長くて目立つので、鶴の絵は脚が命と言っても過言ではない。実際のタンチョウの脚は太くたくましく、関節部分(かかとに当たる)は骨が盛り上がっている。前を向く足指3本は長く、後ろを向く足指1本は小さくてほとんど接地しない。また、鳥の脚は鱗に覆われているが、その形や配列は種ごとでおおよそ定まっており、タンチョウの場合は、足指の付け根から関節部分まで(足の甲に当たる)には、前面に幅広く大きい鱗が、後面に中くらいの鱗が一列に並び、左右の側面は縦長の小さな鱗が数列で並んでいる。一方で、関節部分よりも上(脛に当たる)には小さな鱗が不規則に集まっている。脚の写実性は、それら鱗の形状や配置をいかに正確に写し取れたかに左右されるが、省亭の描写は相変わらず完璧である。

一方で、このタンチョウの顔は、なんと言うか、かなり個性的と言うか、うーん、少なくとも、彼らの顔は鳥学的にはあまり正しいとは言えない。まず、嘴が長過ぎる。実物より1.5倍は長いだろう。そして、なんと言っても目の位置が明らかにおかしい。手前の横顔の鶴は変ではないのだが、斜めを向いた奥の鶴は、目が後方に離れ過ぎている。試しにパソコン画面上で画像を加工して、このタンチョウの目を目1つ分前方に移動させてみた。すると実に自然にしっくりと収まり、画面から違和感が消失した。省亭の描写がいかに不自然でアンバランスであったのか、よく分かってしまった。

目の位置は表情を支配し、画面の印象をがらりと変えてしまう。それではどうして、省亭は目の位置を正しく描かなかったのか。私は2つの可能性を考える。1つは、単なる書き損じである。弘法大師でさえ字を誤るのだから、省亭だって鳥の目の位置を誤ることがあるだろう。けれども、そんな失敗作を省亭は世に残すだろうか。単なる書き損じがこの世に存在し続けることを、多くの芸術家は決して許さないだろう。省亭も、書き損じは破り捨てたに違いないし、燃やして滅したこともあったかもれない。そうならば、本作品はこの世に存在してはいけないもののはずだ。であれば、もう1つの可能性が有力だろう。省亭は「意図的にこの位置で目を描いた」ということである。
不自然な位置でタンチョウの目を描いた「省亭の意図」は何だったのだろうか。彼の心中はなかなか想像しにくいのだが、本作品が三幅対の中幅で、左右が松竹梅という“おめでたい”画題であったことが関係した可能性がある。この“おめでたい”作品は、慶事や正月に飾られたはずのものである。正月に変な顔と言えば、「福笑い」だ。省亭は正月のおめでたい席に少しでも笑いをもたらそうと、「福笑い」のつもりでこのタンチョウを描いたのかもしれない。または、逆に「福笑い」からヒントを得て、タンチョウの立体感を“写実的に”表現する手法として、目を不自然に描いたのかもしれない。そうすることで、タンチョウの顔周辺の空間はいくらか歪んで見え、そこに立体性を感じてもらおうとの意図だったとも考えられる(成功したとは言いにくいが…)。

空間を歪めたように対象を描く。現代に住む私たちは、これをよく知っている。そう、これはポール・セザンヌ(1839-1906)が創め、ジョルジュ・ブラック(1882-1963)とパブロ・ピカソ(1881-1973)が大成した「キュビズム」そのものではないか!そういうつもりで本作品を改めて見てみると、このタンチョウの目が、ピカソの「座る女(マリー・テレーズの肖像)」(パリ国立ピカソ美術館蔵)の目と、なんとなく同じように見えてこないだろうか。省亭(1851-1918)はセザンヌより下の世代、ブラックやピカソよりはかなり上の世代だ。かの「アビニョンの娘たち」(ニューヨーク近代美術館蔵)が発表されたのは1907年、本作品の制作年は分からないが、「アビニョンの娘たち」よりも前だった可能性はある。ひょっとすると、彼はピカソに先んじてキュビズム的表現を試していたのかもしれない。タンチョウの目にキュビズムの芽を感じる、この私の妄想はあまりにも突飛で見当違いだろうけども、考える度にワクワクしてくる。

高橋 雅雄(鳥類学者 理学博士)
1982年青森県八戸市生まれ。立教大学理学研究科修了。
専門は農地や湿性草原に生息する鳥類の行動生態学と保全生態学。
鳥と美術の関係性に注目し、美術館や画廊でのトークイベントに出演している。

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