PUBLICATIONS 鳥博士高橋の鳥舌技巧!

vol.30 翡翠図(花鳥魚鰕画冊)
渡邊 省亭 Watanabe Seitei
渡邊 省亭 翡翠図(花鳥魚鰕画冊)

絹本着色/一面(全二十一面のうち)
35.9 x 27.3 cm メトロポリタン美術館 

vol.30 面妖な人気者:翡翠図

カワセミは異様なほど人気が高い鳥だ。特にアマチュア写真家からは熱烈に支持されており、1羽のカワセミを何十台もの高性能カメラが取り囲む光景は珍しくない。私はそこまでカワセミを愛してはいないが、人気の理由はとてもよく分かる。まずは「体型のかわいらしさ」だ。頭と嘴が大きく、足と尾が短いので、彼らは三頭身に見える。これは人間の赤ちゃんと同じ幼児体型で、私たちはこの比率のものをカワイイと感じるように進化してきたと言われている。キティちゃんなどのキャラクターがかわいくて人気なのも同じ原理である。次に「配色の分かりやすさ」がある。頬と胸・腹・尻と脚は鮮やかな橙色、頭頂から背・翼・尾にかけては鮮やかな青で、どちらの色もよく目立つ。どんな殺風景な場所であっても、カワセミがいるだけで景色に色彩が生まれ、いつでも画面の主役になる。しかも橙と青はほぼ同じ割合で、見る角度によって目立つ色が大きく変わる。正面から見ると橙色の鳥、背面から見ると青い鳥、側面から見ると2色の鳥で、印象や表情がその都度変わるのもいい。そして何より「青の輝き」である。特に背中は強く光る水色で、これは羽毛に反射した光が生み出した構造色と呼ばれるものだ。この青の輝きには、有無を言わせない圧倒的な魅力がある。

こんなカワセミはやはり昔から人気があったようで、数は少ないけれども長らく日本画の画題となってきた。あくまでも私の印象なので正確ではないかもしれないが、江戸時代中頃から作品が増えてきたように思う。けれども、これら初期の作品はどれも、私を全く満足させない。円山応挙「翡翠香魚図」(福田美術館蔵)も岡本秋暉「花鳥図」(東京国立博物館蔵)も、どれもこれも不正確で良くない!!葛飾北斎「翡翠 鳶尾草 瞿麦」や歌川広重「紫陽花と翡翠」など浮世絵にいたっては、鳥の形が大きく崩れてしまって妖怪のようである。どうしてなのか全く分からないのだが、カワセミは長らく写実性とは無縁だったようだ。やっと明治時代末以降から正しく描かれ始め、速水御舟「翡翠」(駒形十吉記念美術館蔵)や橋本関雪「急湍翡翠」(山種美術館蔵)などはかなり写実的になっている。ここまで達してようやく、私は心穏やかに作品を鑑賞できる。

では、写実性を重んじただろう省亭はどうだったろうか。彼が描いたカワセミは、本作品と「迎賓館赤坂離宮・七宝額原画 山翡翠・翡翠に柳」(東京国立博物館)が代表的である。この2つを対象に、彼のカワセミの写実性を評価してみよう。

渡邊省亭「山翡翠・翡翠に柳」
「迎賓館赤坂離宮・七宝額原画《山翡翠・翡翠に柳》」
東京国立博物館 Image : TNM Image Archives

全体的なバランスはどちらも正確である。頭が大きい三頭身で、体に対する翼の比率も概ね正しい。けれども細部の描写には2作品で大きな差がある。「山翡翠・翡翠に柳」はほぼ完璧なのだが、本作品はかなり不正確だ。嘴は上下ともに赤く塗られているが、実際は雄は上下とも黒く、雌は上が黒で下は赤い。嘴の基部に開く鼻の穴は位置が不正確で大きすぎる。目先や目元には橙色の羽毛が広く生えているが、このカワセミには描かれていない。そして何より、胸・腹・尻・翼の下面の橙色は薄く、カワセミの特徴である強烈な色のコントラストが無い。省亭が得意とした羽毛の柔らかな描写も、体のフォルムをぼやけさせてしまって、写実性を下げる一因となっている。

反対に本作品の長所は、カワセミの生態や習性を正しく踏まえている点である。背景はヨシ原で、右下には水面が確認できる。実際に野生のカワセミが暮らす風景である。また、このカワセミは小魚を咥えて水面近くを飛んでいる。水中に飛び込んで小魚を捕らえ、そして水上へ飛び上がった直後なのだろう。画面全体は静止状態だが、カワセミだけは動きの中にあり、前後の一連の動作がリアルに想像できてしまう。現代の高性能カメラでしか写しえない刹那の世界を、どうして明治時代の省亭の目は正確に捉えることができたのだろうか。彼の観察力、特に動体視力には脱帽せざるを得ない。一方で「山翡翠・翡翠に柳」では、カワセミは柳の垂れた細枝に不自然にとまり、不自然に片翼を広げている。細部の描写は正確である分、カワセミに生気は無く、動きを創造することもできない。これら2作品は、長所と短所が完全に真逆である。

省亭は幕末に生まれ、明治・大正時代に活躍した。ちょうどカワセミの描写の写実性が上昇していく過渡期にあたり、様々な段階のカワセミの絵が混在していた時期だっただろう。その中で省亭は、旧来の江戸時代の感性と新時代の外来の感性を両方持ち合わせていたのではないだろうか。前者は本作品に宿り、細部の写実性を重んじなかった代わりに一瞬の光景を写し取った。後者は「山翡翠・翡翠に柳」に結実し、細部の写実性を追求した代わりに自然を捨てた。彼が描いた相反するカワセミたちは、彼が抱えた矛盾する2つの感性を象徴しているのではないだろうか。

高橋 雅雄(鳥類学者 理学博士)
1982年青森県八戸市生まれ。立教大学理学研究科修了。
専門は農地や湿性草原に生息する鳥類の行動生態学と保全生態学。
鳥と美術の関係性に注目し、美術館や画廊でのトークイベントに出演している。


今回のコラムでご紹介した《翡翠図(花鳥魚鰕画冊)》は岡崎市立美術博物館の巡回展に出展!

渡辺省亭ー欧米を魅了した花鳥画ー
https://seitei2021.jp/

2021年3月27日(木)~5月23日(日) *会期終了しました。
於:東京藝術大学大学美術館
https://www.geidai.ac.jp/museum/
〒110-8714 東京都台東区上野公園12-8
03-5777-8600(ハローダイヤル)

2021年5月29日(土)~7月11日(日) *会期終了しました。
於:岡崎市美術博物館
https://www.city.okazaki.lg.jp/museum/index.html
〒444-0002 愛知県岡崎市高隆寺町字峠1番地
0564-28-5000

2021年7月17日(土)~8月29日(日) *会期終了しました。
於:佐野美術館
https://www.sanobi.or.jp/
〒411-0838 静岡県三島市中田町1-43
055-975-7278

※《翡翠図(花鳥魚鰕画冊)》は東京藝術大学大学美術館と岡崎市美術博物館のみの展示となります。
※《山翡翠・翡翠に柳》は東京のみの展示です。

ESSAY SERIES: SEITEI’S BIRDS 鳥博士高橋の鳥舌技巧!