vol.31 後頭部の思い込み:花鳥図屏風
私は鳥類学者の肩書を偉そうに名乗っているが、鳥類学の世界は広く果てしなく、道半ばと未だ言えないほど道のりは遠い。スズメやカラスなどの身近な鳥であっても研究は世界中で日進月歩に進んでおり、その最前線を全て把握するなど到底不可能なほど、世の中は私が知らない知識で溢れている。幸運にも目にとまった新たな知見を手にする度に、鳥類学の面白さ、そしてなにより鳥そのものの奥深さに驚嘆する。私も鳥類学者の端くれとして、新しい発見を世の中に提供し、鳥類学の発展に少しでも貢献したいと思っている。そしてそれがどんなに難しいことか痛感し思い悩む日々を過ごしている。
鳥類学の新しい知識は、学術論文や専門書の中だけにあるとは限らない。学問とは無関係な日々の生活や娯楽の中にも堂々と存在している。それらの発見を妨げているものは、誰もが持っている無意識の誤解・勘違い・思い込みだ。常識や既存の知識を疑うことが学問の始まりであり、どれをどのように疑うべきかが、学者としてのセンスの見せどころである。今回は、私が長く思い込み勘違いしていたこと、鳥を専門としない方々にそれを気づかされたことについて紹介したい。
カラ類はスズメ目シジュウカラ科に属する小鳥の総称で、日本にはシジュウカラ・ヤマガラ・ヒガラ・コガラ・ハシブトガラの5種が主に生息する。ハシブトガラは北海道だけに、その他はほぼ全国で見られ、いずれも森林に棲む。街中の社寺林の樹洞や庭先の巣箱などでも営巣し、冬には餌台を頻繁に利用するなどかなり身近な存在で、多くの方が目にしたことがあるだろう。主に白・黒・灰色で構成された羽色で、ヤマガラだけは赤茶色に染まっているが、いずれも特徴的な模様を持つ。また、人間以上の高度な言語能力を持っていることが近年明らかになり、世界中の鳥類学者や動物行動学者の注目を集めている。
私にとってもカラ類はとても身近な小鳥だった。実家の庭先の餌台にはシジュウカラのつがいが居ついていたし、近所の神社や公園の木立ではヤマガラやヒガラがいつも居た。冬にはコガラが山から降りてきて他のカラ類と一緒に暮らし、エナガやコゲラも加わった混群に度々出会った。時には双眼鏡が要らないほど近寄ってくることもあり、その羽色の美しさや仕草のかわいらしさを間近でじっくりと観察できた。こんな長年の付き合いから、彼らの羽色や模様は隅々まで正確に理解していると、そう思い込んでいた。
これが大きな勘違いであったことを私に教えてくれたのは、週刊モーニング(講談社)で連載中の漫画「とりぱん」(とりのなんこ著)である。この中で著者は、カラ類の模様をずっと勘違いしていて、これまでの描写が間違っていたことを告白している。カラ類の頭部は黒いのだが、実はシジュウカラ・ヤマガラ・ヒガラは首の淡色模様が背側から頭頂へ細く入り込んでいて、後頭部が禿げているように見える。彼女はこれに気づいてなかったそうで、後頭部も黒く塗りつぶしていた。ある時ふとしたことで気がついて、大変驚いたそうだ。
これを読んだ私も、自身の誤解に驚愕した。後頭部まで黒いと思い込んでいて、疑いすらしていなかった。内心信じられなくて、手元の図鑑やインターネット上の写真をたくさん見返してみた。確かに後頭部は黒が途切れていて、禿げているように見える。バードウォッチングを始めて20数年、鳥類研究で博士号も取得しているのに、こんな身近な小鳥の目立つ特徴すら気付いていなかったとは…。自身の思い込みを大いに自省する出来事だった。
さて、省亭はこの後頭部の模様にちゃんと気づいていただろうか。彼はシジュウカラをどうしてかほとんど描かなかったようなので(作品例を私は知らない)、ヤマガラで検証してみよう。ヤマガラを描いた作品は、本作品の他に「冬の花鳥 左幅」や「迎賓館赤坂離宮・七宝額原画 山雀に芙蓉」(東京国立博物館)などいくつかある。ヤマガラは彼のお気に入りだったのだろう。
結果は一目瞭然、彼が描いたヤマガラには後頭部に禿げ模様がちゃんとある。さすがは写実の花鳥画家、描くべきポイントを正しく認識していた。私の観察眼が省亭より劣っているとは思いたくないが、今回だけは潔く負けを認めよう。
高橋 雅雄(鳥類学者 理学博士)
1982年青森県八戸市生まれ。立教大学理学研究科修了。
専門は農地や湿性草原に生息する鳥類の行動生態学と保全生態学。
鳥と美術の関係性に注目し、美術館や画廊でのトークイベントに出演している。
今回のコラムでご紹介した《花鳥図屏風》は岡崎市立美術博物館に出展!
渡辺省亭ー欧米を魅了した花鳥画ー
https://seitei2021.jp/
2021年3月27日(木)~5月23日(日) *会期終了しました。
於:東京藝術大学大学美術館
https://www.geidai.ac.jp/museum/
〒110-8714 東京都台東区上野公園12-8
03-5777-8600(ハローダイヤル)
2021年5月29日(土)~7月11日(日) *会期終了しました。
於:岡崎市美術博物館
https://www.city.okazaki.lg.jp/museum/index.html
〒444-0002 愛知県岡崎市高隆寺町字峠1番地
0564-28-5000
2021年7月17日(土)~8月29日(日) *会期終了しました。
於:佐野美術館
https://www.sanobi.or.jp/
〒411-0838 静岡県三島市中田町1-43
055-975-7278