vol.33 忘れられた花鳥画家 小原古邨:青楓に方目の図
省亭は「忘れられた花鳥画家」と呼ばれる。彼の晩年から最近までの100年あまり、日本は省亭の芸術を不思議なほど軽視し、その至極の作品たちに関心を全く払わなかった。一方で海外では、省亭の人気や評価は変わらず続いていたようで、数々の傑作が有名美術館に納められている。日本の変わり身と忘却の早さを、日本人の一人としてとても歯痒く思っている。
同時代に活躍して没後に同様に忘れ去られ、最近になって再評価された花鳥画家がもう一人いる。小原古邨(1877-1945)は省亭よりも少し年下で、明治末期から昭和初期に活躍した。彼は多色刷りの木版画が主であったが、写実的な花鳥を描き、国内以上に海外で高く評価された。しかしながら、没後に急速に忘れ去られ、その画業は最近まで全く知られていなかった。これらの過程は、省亭の場合と驚くほどよく似ている。2018年9月に茅ヶ崎市美術館で開催された「小原古邨展‐花と鳥のエデン‐」と、2019年2月に太田記念美術館で開催された「小原古邨展」で大々的に紹介され、ようやく再びの脚光を浴び始めている。
古邨の花鳥画の特徴は、描かれた鳥たちのラインナップにある。彼の作品を俯瞰してみると、コサギ・ゴイサギ・マガモ・スズメ・タンチョウなど花鳥画でよく見かけるいつもの鳥たちが多く描かれている。けれどもよくよく見てみると、その中にタゲリ・ヒレンジャク・ムクドリ・セグロセキレイなど玄人好みの種がいくらか紛れ込んでいる。中でも白眉はナキイスカで、日本には極めて稀に冬に渡来する小鳥である。松の種子を採食するための互い違いの細い嘴と、2本の白帯が入った翼を持ち、雄はバラ色の羽毛を全身にまとっている。その希少性と美しさから愛鳥家の大きな憧れとなっているが、残念ながら私は未だ出会ったことが無い。これら身体的特徴をはっきりと描いてナキイスカを誇らしげにアピールしているところに、古邨の強い鳥好き志向が感じられる。その度合いは省亭に勝るとも劣らないだろう。
彼の花鳥画のもう一つの特徴は、描かれた鳥たちの多くに“動き”が含まれていることである。「柳に小鷺」は枝にコサギが止まった瞬間を捉え、「柿に目白」は柿の実に乗っかって踏ん張るメジロの脚の強さが表されている。「木菟と雀」は休息するミミズク相手にスズメが集団でモビングし、「鷹と温め鳥」はスズメを捕らえた直後のハイタカの静と、その爪から免れ逃げ行くスズメの動が対比されている。いずれも、描かれた場面の前後に一連のストーリーがあることを想像させ、まるでアニメーションの一コマをピックアップしたかのようだ。
両者が描いた鳥として、今回はバンに注目したい。バン(体長32cm)はツル目クイナ科に属し、日本全国のヨシ原やため池など水辺に数多く生息している。少し白光する黒い体、焦げ茶色の翼、額と嘴は鮮やかな赤で嘴の先端は黄色く、長い脚や足指は鮮やかな黄色である。脇とお尻に白斑があり、特に後者はよく目立つ。一般的な知名度はあまり無いが実はかなり身近な鳥で、例えば東京都上野公園の不忍池では、生い茂るハスの下をひっそりと歩く姿をよく見かける。私が暮らす岩手県盛岡市では、住宅街の公園の池で子連れのバンによく出会う。
古邨はいくつかの作品でバンを描いている。古邨らしく動きが感じられる描写で、「撫子に鷭」や「花菖蒲に鷭」では、浅い水辺をひょこひょこと歩く様子がよく表現されている。特に「撫子に鷭」は脚の色や翼の模様に間違いがあるが、左脚をようやく持ち上げた動作の描写が秀逸で、足指が描かれなかった右脚も鑑みると、画面からほぼ省略された泥水の存在が読み取れる。このバンはぬかるんだ泥に足を取られ、時に足指が泥に埋まってしまうような状況ながらも、餌を求めて水際を歩き回っているのだろう。視線の先に一匹のアメンボがいるが、静かに歩けないこの状況では捕らえられなかったのではないだろうか。他方で「水辺の鷭」では2羽のバンがたたずんでいるが、そのうち1羽は右脚と尾を上げており、ちょうど歩き始めるところだったのだろう。バンは歩きながら尾をぴょこぴょこと上げ下げし、お尻の白斑を見せるような動作をする。尾を上げた描写から、古邨はこの特徴的な動きを画面に盛り込もうとしたと考えられる。いずれの作品からも、バンの動きを正確に描写しようとする古邨の明確な意図が感じられる。
省亭のバンはどうだろうか。本作品では、カエデの木の下の水辺で2羽のバンがたたずんでいる。各部位の色彩や全体のバランスはおおよそ正確に描写されているが、脇の白斑を2羽とも欠いている。省亭らしからぬミスだが、画面全体の色彩バランスを考慮して意図的に省いたのかもしれない。また、古邨のバンとは大きく異なり、動きが全く描かれていない。この2羽は猫背で突っ立っているだけで、将来の動作も全く予感させない。花鳥画では、草木は静を、鳥は動を担い、両者のバランスが花鳥画の芸術性を生み出している。省亭が描く鳥も動を司るが、古邨の鳥と見比べるとやはり静の要素が強く、特に本作品は顕著である。どちらかというと、バンの頭上に展開するカエデの枝葉の方に、動の要素を感じてしまう。
動を強くアピールする古邨と、控えめに留める省亭と、同じ花鳥画家でありながら対照的な2人が今ようやく注目されている。この宿命的な対比が、絵画芸術の面白さだと思う。
高橋 雅雄(鳥類学者 理学博士)
1982年青森県八戸市生まれ。立教大学理学研究科修了。
専門は農地や湿性草原に生息する鳥類の行動生態学と保全生態学。
鳥と美術の関係性に注目し、美術館や画廊でのトークイベントに出演している。