vol.36 最終回 私たちは伊藤若冲を否定する:雪中鴛鴦之図
近年、伊藤若冲がとにかく大人気だ。煌びやかな色彩、滲みの巧みな応用、超絶技巧の細密描写、多様な芸術表現など、現代にも通じる美的魅力に溢れている。私ももちろん若冲が大好きだ。歌舞伎役者のように見得を切るニワトリに心躍り、野菜に置き換えられた仏画に笑い、「動植綵絵」(三の丸尚蔵館蔵)全30幅の揃い踏みに圧倒される。いつ見ても期待を決して裏切らない、日本美術史上稀有な個性を示した芸術家の一人だと思う。
ただし、若冲に対する世間一般の考え方に、私は納得できないことがある。高い描写技術や独創的な表現を高く評価することには大いに賛同しよう。けれども、特に花鳥画について、それを“写実的”と評することには真っ向から反対だ。彼の花鳥画は、なるほど一見写実的に見える。けれども、鳥類学的にじっくりと見ると、一部は実に正確無比であるけれど、多くは形態や羽色が実物と大きく変わって描かれて、全くのファンタジーだ。彼は、実物を手本に描いた場合とそうでなかった場合とで、完成度があまりにも大きく違ってしまう画家だったと思う。大店の八百屋のオーナーであったから、食用等で流通していた鳥類、例えばニワトリ・ガン類・カモ類などは実物が容易に手に入っただろう。オウム類やインコ類など舶来の珍鳥なども、立場上実物を間近でじっくりと見る機会が多々あったはずだ。これらの種類は実に正確に描いている。一方で他の鳥類、特に小鳥などは、珍しくないような種類でも描写は全く正確ではなく、中には何を描いたのか判別できないようなものもある。まるで最初から似せて描くつもりが無かったかのように…。辻惟雄氏が“奇想”と評した通り、彼の芸術は写実性よりもむしろ抽象性と創造性を時代に先駆けて重んじた。そのリアリティーとファンタジーの混沌が、彼の花鳥画の真の評価を誤解させているのだと思う。
この過激な先達である若冲を、後の花鳥画家である省亭はどう評価していたのだろうか。本作品は明らかに「動植綵絵」の1幅「雪中鴛鴦図」(三の丸尚蔵館蔵)を模し、彼の気持ちを直接的に表している。ほぼ同じ主題と構図であるが、すみずみまでよ~く見比べていただきたい。雪が積もった冬の水辺の風景で、オシドリの雌雄が描かれていることは共通している(若冲版では雌は水面に、省亭版では雄と並んで地上に居るという違いはある)。注目は上部の木にとまる小鳥3羽だ。若冲が描くのは、向かって左から、キビタキ、キジバト、ノゴマである。それを省亭は、ムクドリ、シロハラ、そしておそらくシメ(識別点がはっきりしないので断言できない)に替えている。どうして省亭は小鳥3種を全くの別物に替えたのだろうか、いったい何が気に食わなかったのだろうか。ここに、若冲に対する省亭の思いが凝縮されている。
鳥類学的視点から、私も若冲版があまり気に食わなかった。若冲版の3種は、彼が暮らした京都では、キビタキは夏鳥、キジバトは留鳥(一年中見られる鳥)、ノゴマは春秋に通過する旅鳥だ。すなわち、キジバトは問題無いのだが、冬の雪景色にキビタキとノゴマがいるのは鳥類学的に明らかに間違っている! 省亭もまさに同じように考えていたと私は思う。若冲は鳥の生態を何も理解していない。写実と評されているくせに、冬の京都の雪景色にキビタキとノゴマが居るなんて甚だオカシイじゃないか。写実的な花鳥画とはどういうものか、俺が正しく示してやる! 省亭はそう意気込んで、京都では留鳥のムクドリや冬鳥のシロハラとシメを代わりに配した本作品を描いたのではないだろうか。
花鳥画とは何か、写実とはどういうものか。本作品は省亭から若冲への挑発的な返答である。省亭にとって若冲は尊敬の対象ではなかっただろう。間違った花鳥画を描き広めた、否定すべき先達だったのではないだろうか。
私も省亭と共に歩もう、私たちは伊藤若冲を否定する。
高橋 雅雄(鳥類学者 理学博士)
1982年青森県八戸市生まれ。立教大学理学研究科修了。
専門は農地や湿性草原に生息する鳥類の行動生態学と保全生態学。
鳥と美術の関係性に注目し、美術館や画廊でのトークイベントに出演している。
【御礼】
鳥博士こと高橋雅雄先生が、鳥類学の視点から省亭作品に登場する鳥たちについて語るコラム「鳥博士高橋の鳥舌技巧(ちょうぜつぎこう)!」は、2019年にスタートしてから3年間、多くの方にご愛読いただいて参りましたが、遂に今回が最終回となりました。
これまでご愛読いただきました皆様、誠にありがとうございました。
【高橋先生より皆様へ】
2019年1月から始まった本連載は今月で最後になります。長い間愛読いただき、ありがとうございました。省亭と毎月向き合う濃密な3年間で、私自身が大変勉強になりました。これからも新しい鳥が発見されることを楽しみに、省亭の作品を追いかけたいと思っています。
高橋雅雄